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はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して観るのが好き。その記録や映画の感想、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

「ディストラクション・ベイビーズ」(2016年)

恐ろしく台詞が少ない。

主演の柳楽優弥なんて、2回位しか言葉を発していないのではないか。

菅田将暉小松菜奈池松壮亮村上虹郎北村匠海。当時から力があると思われていた若手俳優がザクザクと出ていて、どの役も台詞が少ない。唯一、菅田将暉だけ小心者で軽薄で誰かの肩越しに虚勢をはる、そのはしゃいだ虚勢や、自業自得の焦り、恐れ慄く声だけが記憶に残る。

 

WOWWOW「W座」で観たので、小山薫堂信濃八太郎の解釈付きだったのだが、小山薫堂が「菅田将暉さんて、薄っぺらい高校生の役が本当に似合っていてうまい・・・」と言っていたのに心底納得。「セトウツミ」のセトや、「そこのみて光り輝く」の弟役でもそうだった。

最初は、ただ人を殴って絡み、殴られてまた殴る、を通り魔的に続ける男、柳楽優弥を怖がって見ていただけだったが、見ているうちに、その圧倒的暴力の強さに感化され、一緒にいれば自分まで強くなった気になれると勘違いして行動を共にする。ただの小心者が感化される様を、観ているこちらが違和感なく受け取れるように演じられるって、彼じゃないとできないと信濃八太郎が言っていた。そう、菅田将暉の、人がはっと我に返る様子(そこのみて光り輝く)、あるいはあっというまに感化されていく様子(ディストラクション・ベイビーズ)、その変わり目の演技が本当にヤバいと思う。それを頭で考えてやっている様子がないところが憎らしい。ヤツは感覚でやっているのではないか?(大竹しのぶの男版?)

 

さて、菅田将暉作品の発掘でこの作品を観たわけだが、どうしても言及せずにはいれない、主演、柳楽優弥の圧倒的な演技。

なんだろう、彼の演じる”兄ちゃん”に関する説明は最小限だし、彼自身には一切語らせない、そんな中で人を殴ることを楽しみとして、理由もなく人を殴って殴られての日々を過ごす男。死にたいのか、生きたいのか。そんなことさえどうでもいい。強烈な瞳の奥に見えたのは、底なしの純粋さ。不純物のない、殴ることへの快感のみ。強いものと殴り合う遊びの面白さ。コイツ痛点ないんじゃないの?体も心も痛みをほとんど感じないのでは、と思うくらいのタフさと不適さ。

その1点を演ることだけで、この役、成立したような気がする。(勝手な解釈です)柳楽優弥、なんかすごかった。

 

最後に小松奈菜の役。どうしようもない蓮っ葉な女を演っているのだが、それもほとんど台詞なく目線と表情だけで表現。本当は男2人を殺しておきながら、被害者ヅラして(一応最初は被害者に間違いないのだが)警察の聴取に答えていたのだが、通り魔二人組の柳楽優弥菅田将暉(菅田くんは小松奈菜に息の根を止められちゃいます、でもそれだけ彼女をひどい目に合わせています)について、菅田将暉をかばう証言をしている。ひどい目に合わせたのは菅田のほうなのに。映画を観終わってなんでだろうとその疑問を反芻してしまった。そして思い至ったのが、菅田将暉のほうが人間らしかったからではなかろうかと思った。暴力、怒り、おびえ、その他もろもろの感情を彼女に示した。一方の柳楽優弥の暴力男は、人間的感情が一切見えなかった。不純物なし、彼女にとって(観ている者にとっても)暴力(殴り殴られる)と一体化した生き物でしかなかったのではないか。

ディストラクション・ベイビーズ