猫ではないが、私は馴染みのある場所に身を置いた時、「ああ、ここにいていいんだ。ここが私の居場所だ。」と安心することが時々ある。
最初にそう感じたのは稽古場だった。あまり個人的なことを書くつもりはないのだが、以前小さな劇団で下手なお芝居をしていた時代がある。何か月か舞台および稽古を休んでいた後、久しぶり仲間のいる稽古場に顔をだしストレッチをしていた時、妙に安心した覚えがある。この空間に、私居ていいんだって。
次にそれを思ったのは、職場で会議に出席した時。その時も何か月かぶりに復職して、久しぶりに会議に出たのだが、この場所にまた帰ってきた、と感じた。
いずれもそう思わせたは、空間や雰囲気のほかに仲間、同僚の顔だったと思う。特に仲がいいとかではないのだが、彼らがこれまで通りのいで立ちでそこに存在することに、妙に安心した。
そして今日感じたのが、今通っているオフィスの廊下。休み明けにその廊下を歩いた時、ああ、しばらくこのオフィスにいてもいいな、となぜか思った。
上記とは少し異なるが、働き始めたばかりの自分の初心を思い出させてくれるものがある。それは、オフィスのあるビルの階段。入社して2年目の時、新しい建物のエレベーターではなく階段を頻繁に上がり降りしていた時期があった。不安と期待が入り混じった駆け出しの自分の、それでも挑戦するやる気と負けん気で満ち溢れた23歳の足どりは軽く、階段を元気よく駆け上がり、駆け降りていた。それを思い出すと、何だってやれると思う。あれから年月を経て今となっては挑戦というよりは、むしろ謙虚な気持ちで何だってやれる、と思えるのだ。
大切にしたい空感の記憶。