はやし蜜豆の犬も歩けば棒に当たる、

好きな俳優の作品を集中して見るのが好き。その記録や映画観賞、日常気になる現象をぼそぼそ綴っていきます。

媒体としての役者(俳優)

「PLAY」を聴いていて思ったのだけど、菅田将暉はものすごく歌が上手いわけではないが、米津玄師をはじめ、多くのアーティストが喜んで彼に楽曲を提供している。自分の創った歌を歌ってほしいと思う。俳優という表現者として実力もあり、旬であるということも理由の一つだろう。でもそれだけでなく、菅田将暉というメディア(媒体)を通して届けたほうが、その曲が生まれた時の感情や状況を、自分や他の誰かが歌うよりジャストミートで表現してくれるからではないだろうか。

菅田将暉は、自身を表現しているわけでなく、その楽曲の心の部分や背景、空気を歌う。そしてそのことを石崎ひゅーいが歌う「ピリオド」というMVを見て確信した。

 

ファンだからそう思うのかもしれないけれど、何かすごいのだ。失恋した男の女々しい男心をうたった歌(石崎本人tweet)なのだが、約5分の歌の中、ほぼ菅田将暉のバストアップのみが映され、とにかくその表現力がすごいわけ。菅田くん本人が経験した、いや現在形で、今経験していることなの?と思うくらいの演技。これって演技?って思うくらい。

MVでこんなのあるかな。

だから、みんな菅田将暉を使いたがる。役者(俳優)って誰かが表現したいことをその声と体で表現する”媒体”なんだ、と彼を見ていて初めて思った。その人自身の中身は実はあまり関係ない。もちろん、いい媒体になるためにその人の中身は非常に重要だけど、現れているものを見ているこちらとしては、よりいい媒体を通じて、いいものを観たい、ただそれだけのような気がした。(私の場合) そういう役者(俳優)がほかにいるかな、と考えた時、役所広司が思い浮かびました。

それでは、件のMV、↓ ぜひ観てみてください。最後のほうのぶるぶるってするところにホント痺れました。なんて本能的なんだろうって! 

 


石崎ひゅーい 『ピリオド』【MUSIC VIDEO】